大樹と緑色のじゅうたんに浮かぶ家 | シンケンスタイル - 福岡・鹿児島・熊本
田んぼに浮かぶ家

大樹と緑色のじゅうたんに浮かぶ家

「福岡に住むことに、はじめは違和感しかなかったです」

そう笑うのは、熊本県出身の西村隆幸さん(36)。シンケンの住まい手になってもうすぐ6年。すっかり土地の暮らしになじんだ今、移住当初を「違和感しかなかった」と振り返る。その視線の先に広がるのは、柔らかい緑色のじゅうたん。南に面した大きな窓の先一面には稲穂が茂り、さわさわと音を立てて風に揺れる。

2018年に完成した西村邸は、どこまでも続く田畑の景色を取り込むようにして建っている。外から見ると、まるで緑色のじゅうたんに浮かんでいるように―。

木漏れ日の中庭でおやつ
「青葉の季節には蛍が飛ぶんです」

「目の前の田畑は、その年によって作っている作物が違って。今年はお米ですけど、大豆を作っている年は、朝、窓を開けたら枝豆を茹でたようないい匂いがするんですよ」

妻の敦美さん(36)も、目を輝かせながら語る。ご夫妻のお子さん―小学校4年生の長男、2年生の次男、年中さんの三男― の三兄弟も、この家でのびのびと育つ。庭には隣地にそびえ立つニレケヤキの大樹が心地よい影を落とし、家の中にも木漏れ日のアートを運んでくる。

キッチンでお母さんとおしゃべり

ご夫妻が、敦美さんの実家近くに家を建てたのは、2018年冬のこと。もともと大学の同級生だったというお二人は2013年に結婚。仕事の関係で福岡に暮らしていたが、その後、転勤で東京へ。数年後、再び福岡に戻ってきた際は、福岡県の大野城市に住まいを構えた。
「便利なところでした。スーパーまで徒歩2、3分でしたし」

大学時代は建築を学んでいた隆幸さん。でも、「マイホームへの憧れやこだわりはなかった」。ついでに言うと、移住や田舎暮らしに憧れていたわけでもないという。
そんなご夫妻が、なぜ、シンケンの家×田舎町に―?

シンケンとの出合い。
きっかけは、梅雨どきに子どもの遊び場に困ったこと。

当時は賃貸のマンション住まい。梅雨どき、子どもの遊び場に困ったご夫妻は、家族で住宅展示場へ足を運んだ。そこでモデルハウスをいくつか見学したものの、「家そのものに魅力を感じなかった」と話す隆幸さん。そのときふと、友人が福岡の工務店で働いていることを思い出した。

キッチンの向こうに広がる田園風景

「確か、シンケンだったかな。ログハウスみたいな家を作っている会社だったような……」

後日、よくわからぬまま予約を入れ、糟屋郡にある「博多の森モデルルーム」へ行ってみることに。そこで出迎えてくれたのが、当時営業担当だった内田さん。断熱性や耐震性など、家の性能を売りにしているところが多い中、まったく毛色の違うシンケンの話を聞いて、わくわくの種が芽生えた。

ダイニング

隆幸さんちょうど内田さんが、自分の家を建てるところだといって、図面を見せてくれました。そうしたら、『ここからこう真っすぐ視線が抜けたらすごく気持ちいいと思うんです。窓の先に桜の木が見えて、ここでコーヒーを飲んで……』なんて、楽しそうに語り出して。

話を聞くうちに、「自分の家のことでもないのにわくわくしてきた」と、隆幸さん。一棟一棟、住む人目線で考えられる家づくりに共感し、心地よい暮らしが想像できたという。その後、完成見学会や暮らしの見学会に足を運ぶうちに「シンケンで家を建てようかな」という気持ちに。そうなれば、次なるステージは「土地探し」。さて、どこに家を建てようか―?

「ここ、最高じゃないですか!」
シンケンの営業担当の一声で、土地が決まる。

熊本出身の隆幸さんにとって、福岡は、多少なじみはあれど、やはり「知らない土地」。「このあたりがいいかな」と思ったエリアは、値段が高くて断念。すると、妻・敦美さんのご両親が「おじいちゃんの家がある土地に建てれば?」と提案してくれたそう。

敦美さんは福岡出身。地元の宮若市は人口2万5000人ほどの町。田園風景が広がり、山際には美しい夕日が沈む。あたりを流れる用水路にはたくさんの生き物たちが住み、蛍も舞う。一年を通して四季の移ろいを感じられる場所だ。

隆幸さん土地を数か所見て、最後に義母が『この畑も見てもらったら?』と言ってくれた場所が、今、家が建っている土地です。もともとは妻の祖父の畑だったんですけど……営業の内田さんを連れてきたら、『ここ、最高じゃないですか!』って。
それで、この土地に決めました。

  • 完成時の外観
    完成時 → 建築前
  • 建築前の敷地
    完成時 → 建築前

300坪ほどの広い畑は、奥に細長く、入口も横幅も狭い。また北側には隣家も迫っている。正直なところ、宅地としては決して好条件ではない。
ただ、眺望が開けた方向は、今後家が建つことがない農地。さらに、隣地のニレケヤキの大樹を設計に取り込むことで、居心地のいい最高の家ができるのでは― いや、シンケンにならできる。そう確信したからこそ、「ここ、最高ー」というセリフが出てきたのだ。

街中から田舎へ。
暮らしの変化に対する不安はもちろんあった。でも―。

「はじめは何もないところへ行くんだと思ったんです。でも暮らしているうちに『車で20分行けばなんでもある町なんだ』と、自分の感覚が変わってきました。」と話す隆幸さん。

便利な街中から、田舎町へ。移住に関して、不安がなかったわけではない。2、3分歩けばスーパーがあるという環境から、車で20分かけて買い物へ行くという暮らしへと変化。

火熾し

隆幸さん田舎の風習や人になじめるかという点も不安でした。こちらでは盆踊りの文化が継承されていて、お盆の時期には集落総出で踊るんです。とても迫力があって毎年圧倒されています。初めて見たときは感動でした。

と、すっかり地域の一員に。敦美さんにとっては地元ということもあり

敦美さん幼いころからなじみがあるという安心感がありました。子どものときに自分が体験したことを我が子が体験しているのもうれしい。

そう話す敦美さんに「まぁ、奥さんが子育てしやすくなったのがいちばんですね」と笑顔で応える隆幸さん。
ご近所さんも子どもに優しく、子育てしやすい環境に恵まれている。

デッキでご飯

アオバズク(ふくろう)の鳴き声がして、5、6月には蛍も舞う。木々を灯す蛍の光は、まるで天然のクリスマスツリー。住んでから知った自然の贈り物に、家族5人で驚いたり、笑顔になったり。その繰り返しで暮らしが営まれていく。

子どもの成長とともに、家の中も変化。
シンケンの家には楽しみがいっぱい。

「冬がもう、あったかくて」。シンケンの家の魅力を感じるのは、とくに冬。家じゅうが暖かくて、羽毛布団がいらなくなったそう。薪ストーブの存在も大きく、家だけでなく心をも温かくしてくれる。

さらに、シンケンの代名詞ともいえる「PLAY WALL」を使って、棚づくりなどのDIYもするように。仕切りがなく、フルオープンの造りとなっている2階は、子どもたちの成長に合わせて空間の使い方を自由に変えられる。「今朝も模様替えをしたばかり」というセカンドリビングの窓からは、遠くの山並みが一枚の絵画のように家を彩る。

2Fの子ども部屋

シンケンの家は、住めば住むほど「ああしたい、こうしたい」というアイディアが湧いてくる。

敦美さん長男もそろそろ高学年になるので、2階の子ども部屋の上にもう一段スペースを作って、ロフトベッドを作ろうかなって考えているんです。そのときはシンケンさんに相談します!

田舎暮らしの醍醐味。
大変なこともあるけれど、「勇気」を出せば世界は変わる。

「この家に住んで公園に行く必要がなくなったので、楽になりました(笑)」。わざわざ遊びに行かなくても、庭で遊んだり、昆虫採集をしたり、田んぼ道をキックバイクで走ったり。

あぜ道を自転車で走る子供たち

敦美さん自然と触れ合うことで、子どもだけでなく、大人の心も豊かになりました。

キッチンからは、あぜ道を自転車やキックバイクで走る子どもたちの姿が見え、田んぼの向こうまでが庭のような感覚に。

窓の外いっぱいに広がる田畑や木々や山たちが、つねに家と自然との絆を育んでくれる。


薪ストーブのあるリビング

―移住希望者へのエール!

「いいことしかない! 飛び込んで大丈夫です」と敦美さんが語ると、隆幸さんも「不便なことがあっても、暮らしにはなじむし、慣れます。田舎だから、都会だから、ということは関係なくて、置かれた環境を楽しもうという気持ちがあれば大丈夫だと思います」。

必要なのは、一歩を踏み出す勇気。そして人生に対する「遊び心」なのかもしれない。土地が人を受け入れ、人も土地を受け入れる。時間とともにゆっくりと調和していくその過程に、家族の笑顔と新しい発見がある。

もうすぐ実りの秋。移住6年目の秋には、どんなストーリーが生まれるのだろうか。



取材・文/本山聖子  取材日/2024年夏